応援者のコメント

「コ本や」は、美術家、批評家、編集者、研究者たちへ、ここぞというタイミングにプラットフォームを提供し、着実に支えてきた、本屋を土台とすると思われる複合施設です。また、設立から数年であっというまに国内各地、美術大学のある地方と東京のハブの様相を呈してきました。若手を育むオルタナティブスペースとしての懐の深さは日本海溝並です。日本にうごめく創造の可能性を知りたくなったら、コ本やの棚を、ワークショップを、トークイベントを見に行ってほしいです。アマゾンにもメルカリにもない、心踊る発見がきっとみつかります。

アマゾンにもメルカリにもない、この二律から跳躍できるコ本やといっしょに、この世界をまなざしてみませんか。

きりとりめでる/美術評論

古本屋は帰宅途中が似合う。決まったルートからちょっと離れることの面白さを教えてくれるから。コ本やはまさに「こんな出会いはどうでしょう」と教えてくれるような店で、だからこそウチにある本も誰かのきっかけになったらいいな、と買取に持っていけた。北区からなくなってしまったことが寂しかったけど、池袋では出会いの場がもっともっと増えるはず。新しいコ本や、ばんざい。

松江哲明/ドキュメンタリー監督

王子にあったころのコ本やに何度か行ったことがあります。コ本やはたんに古本が売られているだけでなく、トークイベントやワークショップが行われていたのですが、特に印象に残っているのは本の売り場の中で行われていた展覧会でした。展示されている作品は古本に混じって本棚の中に置かれていたりして、作品を見ているといつのまにか隣に置かれた本の背表紙が眼に止まり、気づくとその本をレジに持って行っていて、あれ何をみていたんだっけ?という事が起きたのでした。背表紙を見ながら面白そうな本を探す時のように作品を見る事が出来る、特異な空間だったと思います。新しいコ本やでも、きっとそんな佇まいで作品と本が私たちを待っているんじゃないかなと思います。

谷口暁彦/アーティスト、多摩美術大学情報デザイン学科メディア芸術コース専任講師

最近はkindleで本を読むことが多くなってきているのですが、やっぱりどこか味気ない。本の重さとか匂い。指で感じる紙の感触、インクの発色やパラパラ適当にめくってみたりとか、本はいつでもわくわくを与えてくれる。本屋さんでのふとした本との出会いは、ネットではできない貴重な体験。リニューアルしたコ本やで思いがけない出会いを楽しみにしています!

たなかちえこ/新宿眼科画廊

いつか王子だったころのコ本やさんで、イベントなり展示なりのあいまの、アイドリングのあたまでぽけーっと眺める本棚の、よい本はタイトルがよいし、よい装幀は背表紙もよいなあ。こういう場所でこういうときに出会った本こそが、ホントの一生モノという気がする。4月よりも7月とか11月に出会った友だちみたいに。こんどイケブクロにお引っ越しした、あたらしいコ本やさんについてのコメント(*)のなかで、和田さんが屋根裏部屋をアチックと呼んで、だつおさんがふくろをテカと呼んでて、ユーミンが中央自動車道を中央フリーウェイ、舗道をペイブメントって呼んだ(歌った)ときのトキメキが、あたまのなかでアチックが、テカが。てか、「屋根裏のテカ」とか、ジ〇リ映画のタイトルみたいで、ここからワクワクの物語がはじまる予感しかない…!
https://honkfunding.com/new/

カニエ・ナハ/詩人

みなさん、「コ本や」って「何屋さん」だと思いますか?
ぼくは最初「古本や」だと思っていました。だけど、彼/彼女たちと出会ってからというもの、いまでは一緒に展覧会をつくったり、設営を手伝ってもらったり、映像制作の相談に乗ってもらったり、古物商しか入れない市に連れて行ってもらったり、あとは自宅の古本を買い取ってもらったりしています。
そんなコ本やは、自らのことを「プラクティショナー・コレクティヴ」と呼んでいます。聞きなれない言葉ですよね。個人的な実感に照らしていえば、「本」という概念を現実の空間に置き換えてみて、「読む」という行為を社会のシステムに落とし込もうとしている集団(長い)なのかなあと。
そんなコ本やに行くと、いつもつい長居してしまいます。欲しかった本を見つけて、おしゃべりをして、企てているアイデアを打ち明けて、お茶を飲んで、長居して、立ち止まる。高速で情報が流れゆくタイムラインとは反対に、「本」を「読む」には時間がかかる。そこでは、情報や、時間や、人が立ち止まる。遅延してしまう。それがぼくにとっての「コ本や」です。タイムラインで流され過ぎたみなさん、コ本やに行って立ち止まりましょう!

原田裕規/美術家